被相続人の預貯金は、遺産相続の際にさまざまなトラブルの原因となることがあります。この記事では名義人の死亡による口座凍結や遺産相続の仮払い制度、預金口座をめぐるトラブルの防止方法まで解説していきます。
被相続人の死後の預金引き出しについて
相続遺産の中には被相続人名義の銀行預金なども含まれます。しかし名義人が死亡した後の銀行口座から預金を引き出すことは決して簡単ではありません。
死亡確認で口座は凍結される
まず大原則として、名義人の死亡が確認されるとその人の口座は「凍結」されます。これは口座への入金も出金もできなくなるということです。
口座を凍結する理由は「相続をめぐるトラブルの防止」です。遺産分割協議前や協議中に預金を自由に引き出せてしまうと、相続財産の正確な金額があやふやになりかねません。少なくとも金融機関がそうしたトラブルの原因にならないため、また金融機関がトラブルに巻き込まれないために、口座凍結という制度が存在します。
いったん凍結された口座は、名義人の遺産相続手続が完了するまで解凍されません。この遺産相続手続の完了とは、たとえば遺言書によって相続人が受け取る遺産が確定することや、遺産分割協議によってそれぞれの相続財産が確定することです。
凍結直前の引き出しに注意
名義人の死亡により口座は凍結されますが、凍結のタイミングには注意が必要です。通常、人が亡くなると役所に死亡届が提出されます。しかし役所と銀行は情報を共有していないため、役所に死亡届を提出してから口座が凍結されるまでにタイムラグが発生することも珍しくありません。
凍結されていない口座からは(通帳やキャッシュカードがあれば)預貯金を自由に引き出せます。つまり場合によっては、被相続人の死亡後、銀行に名義人の死亡を通知する前に相続人がお金をおろしてしまうことも可能なのです。実際、葬儀費用や被相続人の医療費を支払うために本人名義の預金を引き出すケースもあります。
しかしこのような引き出しは、他の相続人との間で余計なトラブルになりかねません。特定の相続人が勝手に預金を引き出せば、本来は遺産分割協議の対象となる財産の一部を横領していると疑われかねないからです。
また他の相続人とのトラブルは回避できても、預金を引き出すことで相続放棄ができなくなる可能性もあります。引き出したお金をすべて葬儀費用や被相続人の医療費に使うなら問題ありませんが、それ以外の用途に少しでも使うと「単純承認」とみなされてしまうからです。
凍結後も条件付きで引き出せる
口座が凍結されても、条件次第では遺産相続手続の終了前に預金を引き出すことができます。
ひとつの方法は「相続人すべてが共同で」手続きを行うことです。遺産分割協議が成立する前でも、すべての相続人が署名押印した書類を作成して全員の印鑑証明を添付すれば、凍結された口座から預金を引き出せます。
ただしこの方法で預金を引き出すには相続人全員の協力が必要です。一人でも非協力的な人がいれば引き出しはできませんし、全員が協力的でも印鑑証明の取得には手間や時間がかかります。急ぎの用事でお金が必要な場合、この方法では預金の引き出しが間に合わないかもしれません。
そこで利用できるのが、もうひとつの方法である「遺産相続の仮払い制度」です。仮払い制度は2019年7月1日に施行された新しい制度で、一定の条件は付くものの、他の相続人の合意がなくても凍結された口座から預金を引き出すことができます。
遺産相続の仮払い制度
遺産相続の仮払い制度というのは、それぞれの相続人が単独で預金の払い戻しを受けられる制度です。たとえば被相続人の葬儀費用の支払いや医療費の精算、相続人の当面の生活費などの理由で緊急にお金が必要な場合、この制度を利用すれば比較的スムーズに預金を引き出すことができます。
なお遺産相続の仮払い制度には種類がふたつあり、それぞれ必要条件や利用条件が異なります。
①家庭裁判所の判断が不要なケース
ひとつめは家庭裁判所の判断が不要、つまり「金融機関の窓口で直接申請」して、払い戻しを受けるというものです。この方法には以下のようなメリット・デメリット、利用条件などがあります。
メリット:
- 金融機関に直接申請するため払い戻しまでの日数が短め
- 家庭裁判所での手続きがないため手間がかからない
- お金の用途を説明する必要がない
デメリット:
- 払い戻し金額に上限がある
仮払いの上限額(金融機関1か所ごと):
- 「相続開始時の預金額 × 1/3 × 申請した相続人の法定相続分」か「150万円」の多い方
必要書類:
- 金融機関所定の申請書
- 本人確認書類
- 被相続人の除籍謄本、戸籍謄本、または全部事項証明書
- 相続人全員の戸籍謄本、または全部事項証明書
- 申請した相続人の印鑑証明書
②家庭裁判所の判断が必要なケース
ふたつめは、家庭裁判所に「預貯金債権の仮分割の仮処分」を認めてもらうというものです。まず家庭裁判所に制度の利用を申し立て、審判を得たあとで金融機関の窓口に払い戻しを申請します。この制度は家事事件手続法という法律に基づいています。
家事事件手続法第200条第3項
前項に規定するもののほか、家庭裁判所は、遺産の分割の審判又は調停の申立てがあった場合において、相続財産に属する債務の弁済、相続人の生活費の支弁その他の事情により遺産に属する預貯金債権(民法第466条の5第1項に規定する預貯金債権をいう。以下この項において同じ。)を当該申立てをした者又は相手方が行使する必要があると認めるときは、その申立てにより、遺産に属する特定の預貯金債権の全部又は一部をその者に仮に取得させることができる。ただし、他の共同相続人の利益を害するときは、この限りでない。 |
家庭裁判所から預貯金債権の仮分割の仮処分を受ける場合のメリット・デメリットや利用条件などは以下の通りです。
メリット:
- 払い戻し金額に上限がない
デメリット:
- 家庭裁判所の手続きが必要なため時間がかかる
- 家庭裁判所での手続きに手間と専門知識と費用が必要
- お金の用途を説明する必要がある
仮払いの上限額(金融機関1か所ごと):
- なし(裁判所が仮分割を認めた金額)
必要書類:
- 金融機関所定の申請書
- 本人確認書類
- 家庭裁判所の審判書謄本
- 申請した相続人の印鑑証明書
なお預貯金債権の仮分割の仮処分を受けるためには、以下の要件を満たす必要があります。
- 遺産分割の調停や審判が家庭裁判所に申し立てられている
- 相続財産に関連する債務の弁済や相続人の生活費などのために預貯金を払い戻す必要がある
- 他の相続人の利益を害さない
「払い戻しの必要がある」ことを証明するには、被相続人の債務や未払いの医療費を証明する請求書、相続人の源泉徴収票や課税証明書といった収入資料などが必要です。
仮払い制度利用の注意点
遺産相続の仮払い制度の利用には、最低でも金融機関窓口での手続きが必要です。申請時には被相続人や相続人全員の戸籍、申請する相続人の印鑑証明書などを提出するため、それらの公的書類を揃える手間や時間がかかります。申請後どれくらいで払い戻しを受けられるかも金融機関によって異なる可能性があるため、ある程度時間の余裕を持って制度を利用したほうが良いでしょう。
また仮払い制度を利用した場合、払い戻し金の使途によっては「限定承認」となり、その後の相続放棄ができなくなる可能性があります。相続財産に債権(借金)などが含まれる場合は特に注意が必要です。
死後の預金引き出しによるトラブルを防ぐ
口座凍結前に引き出すにせよ、仮払い制度を利用するにせよ、被相続人の口座から預金を引き出すことは他の相続人とのトラブルにつながりかねません。できるだけ預金の引き出しは避けた方が安全ですが、どうしても必要がある場合は以下のポイントに注意してください。
必要最小限で引き出す
預金を引き出す場合は、必要最小限の金額にとどめておくべきです。そのためには「何にいくら必要か」を正確に把握する必要があります。
特に重要なのは「自分の相続分を超えない」ことです。引き出す金額がその相続人の相続分に収まっていれば「相続の先払い」として精算できるため、他の相続人もそれほど脅威に感じないかもしれません。しかし自分の相続分を超えた額を引き出してしまうと他の相続人は「自分の相続財産を侵害された」と感じ、反発する可能性があります。
他の相続人に説明しておく
他の相続人に一言の断りもなく預金を引き出してしまうと、「横領しているのではないか」「生前も同じことをしていたのではないか」など余計な疑いを招く危険があります。こうした疑いや感情的な対立が発生すると遺産分割協議にもマイナスの影響が及んでしまうため、預金の引き出しを行う場合はできるだけ早いタイミングで他の相続人と相談したり、説明しておくとよいでしょう。
使途を明確にする
引き出したお金の使い道を明確にすることも大切です。たとえばあらかじめ「被相続人の医療費に使う」と説明していても、他の相続人の中には「本当にそれだけか?」「個人的な用途にも使ったのではないか?」と疑う人がいるかもしれません。
引き出した預金を使ったら、請求明細や領収書といった証拠書類を揃えておいて、他の相続人に使途をしっかり説明できるようにしておきましょう。
まとめ
被相続人名義の預金口座は、被相続人の死亡が確認された時点で凍結されてしまいます。凍結された口座から葬儀費用などを引き出す方法はいくつかありますが、どの方法を利用するにしても、まずは目的をはっきりさせ、他の相続人と話し合うようにしてください。預金の引き出しについてわからないことがあれば行政書士などの専門家に相談して、トラブルのない遺産相続を目指してください。